生命(いのち)を考える|知人の死に直面|1年前のことを思い出す

こんにちは。EmiLia( エミリア)です。

この記事で、会社でよくしてもらっていた方の癌の再発について触れたことがある。

いつだったろう?

今日、改めて、それがいつだっただろう?と、探してみた。
そして、読み返してみる。

訃報

なぜならば、その方の訃報に触れたから。

なぜだろう、と思う。
1年前のあの日、確かに「もう会えなくなるだろう」ということが、
直感的にわかっていた気がする。

もちろん、再び、元気になって欲しいと心から願っていたし、
その方が住んでいるエリアにいい鍼灸師さんがいないか・・・を鍼の先生に聞いていたりもしていた。

でも、それらは、私の思いとは裏腹に、
それらもうまく繋がらなかった。

長生き

身内や親しいひとには、できる限り長生きして欲しいと思う。

けれど、このような生命の最後に触れると、人に定められた寿命について考えてしまう。

大きな定められたものがあるとすると、それは抗えない。

喪失感

喪失感。

大切な方を失った。
でも、どことなく、また「相変わらず、生意気だな」と、笑いながら、
「どんどん食べろ」と、微笑みながら横にいらっしゃる姿が思い浮かぶ。

最後に受け取ったメールは、「今度ひれ酒の(大人の)飲み方教えて」と、
食事をした翌日交わしたものだった。

その日は、出張先の取引先との会食を断って、
その方と時間をとった。
だから、「あのとき、やっぱり直感に従って…」という後悔も、今回お陰でなかった。

1日、1日を大切に生きていきたい。
大切な人との時間も。

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EmiLia

この記事を書いた人

EmiLia

一部上場企業に勤めるアラフォー女性管理職。

2度の駐在経験の後、商品企画を長く担当して、いまは、同じ社内でもカルチャーが全く違う管理部門で日々奮闘中。

「仕事」も「プライベート」も、どちらもあきらめない。

仕事でのアウトプットはしっかり出し、キャリアも積みながら、
プライベートにもフォーカスして、食や旅、学び、美・健康など、毎日ブログを更新。

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