こんにちは。EmiLia( エミリア)です。
ここ最近の出来事で、前から傾向があったけれど、部下の態度が気になることについて記事に。
管理職のケーススタディーなどで、よく登場しそうな、仕事はできるけれど、協調がそこまでなかったり、上司に刃向かうタイプの部下。
スキルとしては、優秀だけれど・・・という想像しやすい言葉を使うと。
いろいろ上層部からのいわゆる「理不尽な」指示やコメントでフラストレーションが溜まっていることは理解するけれど、課内の身内のディスカッションはさておき、社外の人や部外の会議で、あからさまに上司(=私)を批判する行動をとる。
確かに、その思いは、よくわかる。
私自身、役員レベルの発想が理解できないこともあるから。
けれど、組織である以上、逆提案や指示とは違う検討をし、提案するということはある。
けれど、「偉い人のいうことは分かりません」と、シャッターを閉ざすと大きな歯車で動く、組織が成立しないことも事実。
そんな部下を眺めて、「どうして、大企業に所属するのだろう?」と思う。
別に、辞める選択肢はあるのに・・・と。
これは、本当に感じることで、昔の自分もそのような点があるけれど、会社は対価として給与を払う。
けれど、その会社の方針、人間関係、風土が合わないのであれば、辞めた方が幸せなのではないか?と。
今置かれる立場を生かしながら、感謝し、取り組むこと。
それは、明日は別に違う会社に移っているかも知れないけれど、
今日、この日を過ごす、人生を満たすことになると思う。
そんな上にも下にも板に挟まれている自分を見かねてなのか、上司から、メールがぽろっと届く。
それは徳川家康の遺訓だった。
徳川家康遺訓
人の一生は重荷おもにを負をひて遠き道をゆくが如し いそぐべからず
不自由を常とおもへば不足なし
こころに望のぞみおこらば困こん窮きゅうしたる
時を思ひ出いだすべし 堪忍は無事
長久の基 いかりは敵とおもへ
勝ことばかり知しりてまくる事をしら
ざれば害其身にいたる
おのれを責せめて人をせむるな 及ばざるは過すぎたるよりまされり
人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。
不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。
心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。
がまんすることが無事に長く安らかでいられる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。
勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている。
意味は、このようなことらしい。
中間管理職というのは、上に上司がいて、その上に役員もいて、
また、価値観が多様な部下がいて、本当に学びが多いポジションだと思うのでした。
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EmiLia