乙武洋匡「車輪の上」朝渋〜 レッテルを貼られたり、貼ってしまったり、それが人間。

こんにちは。EmiLia( エミリア)です。

2月も中旬にさしかかった2019年。
かなり時が経過したけれど、2018年のなかで、もっともインパクトを受けた講演のひとつ乙武洋匡さん著 「車輪の上」の出版記念のトークライブの記事を。

片手間に書きたくなかったことと、「車輪の上」を読んでから記事にしたくて、
このタイミングになってしまい。。

しかし、少しでもみなさんに当日の様子が伝わればと。

朝渋

乙武洋匡さんは、文春の騒動の前に2度ほど講演は聞いたことがあったけれど、騒動後は初めて。

乙武さんが車椅子で登場。
普段は夜型人間で、前日はAM1時に寝ようと思っても寝付けず、
結果、一睡もできなかったそうだ。

夜型人間の乙武さんからすると、「AM7時からひとの話を聞こうと思わない」そうで、
会場に集まるたくさんの人をみて、「嬉しい」とストレートにおっしゃっていた。

自己紹介

まず冒頭に「色々あった・・・」と。
その言葉は、ずっしりと重いものだった。

騒動のあと、1年は家に引きこもったが、
このままでは人生がもったいないと、

2年目は、海外を放浪し、37カ国を訪れたのだと。

そして、昨年4月に帰国して、本を書き始め、
1.5ヶ月執筆にかけ、6月に書き終えたそうだ。

2007年から2010年まで教員生活。
貴重な経験を本にしようと思った、と。

教員の生活で、かけがえのないものは、子供たちと保護者の関係性、その交流は素晴らしい経験だったと。

しかし、「職員室がクソ」だとそのままの言葉で驚くほどストレートに表現された。

現実は隔たりがあり、
小説にしたのは、物語との「着地点を自分で探れる」からだと。

小説の形式にチャレンジしたところ、映画化が決定。

けれど、、、手足のない俳優がない。(たしかに。)

そして、映画に出るはめになり、
「だいじょうぶ3組」
「ありがとう3組」

(冗談ぽく)今回も映画化を狙っているため、
俳優がいる脳性麻痺に設定されたと、お茶目に。

今は、教育という観点では、
保育園3園とこども園 2園を経営されているんだそうだ。

乙武さんは、体は選んでない。
つまりハンディキャップはあるけれど、心から両親、学校、友人に恵まれて・・・とおっしゃっていた。

身体のハンデ、LGBT、ルーツが外国など、
マイノリティーなだけで、人生のハードルが上がる。

努力を要するハードルが高くなる、
それは、もちろん健全ではない。

どんな境遇でも「チャンスは平等」である、
そんな社会にしたい。

そのために、社会につながることはする、

執筆、講演、TV、ゴミを拾ったり
保育園作ったり、大学院行ったりのだそうだ。

日常の1日

1日の過ごし方は、9時に起床し、
AMは、メールやメッセージの処理。

インタビューや番組にも。

PMは、ワインを飲むそうだ。

2年間、あまりにも暇だったので、
ソムリエ資格を無理やり誘われたんだと。

お酒は強くないそうだが、ちょっとかじっていたら、面白くなり、
さらに、5ヶ月の欧州滞在で、安いワインを飲みどっぷりハマったそうだ。

政治活動への道。

朝から重い話との前置きがあって、「燃えてない」と。

これまでも「こういう社会を作りたい」とメディアで発言してきたが、
それではラチがあかないと・・・

もっと効果的できる活動がないか?と考えて、
政治の世界を現実的に考えたそうだ。

「40歳になり、腹をくくるか」と思っていたらこのザマ、とご本人の口から。

堅く閉ざされ、メディアには取り上げられても、
「お前に何が・・・」と言われる騒動後の実情。

決めかねている、
考えあぐねている、

そして、ワインを飲んでいる、と。

ユーモアを交え。。

きっかけ

「五体不満足」で世に出た。

本を書くことで、
世間に対して、そして、自分への喝入れの意味もあったそうだ。

騒動があり、世間には嫌われている。

そんな“乙武の”言っていることは世間は聞かないと分かっている。

しかし、虚構の世界(小説)であれば、耳を閉ざされないだろうと。

五体不満足が出たのが、2008年10月。

また、ちょうど担当した編集者が定年退職を迎える。

最後に一緒にその方と本を作りたい。

そのことが重なってのことだと、本を書きたくなった経緯を話された。

「車輪の上」

新著 「車輪の上」の読んでくださった方の感想はいいそうだ。

ご本人は、書きながら凹んでいたそうで、
文体が小説に向いておらず、純文学はかけない、と。

説明ちっくな文章になり、
頭の中、心の中をいかに皆さんにお伝えするか・・・
どうしても、わかりやすく書いてしまうのだそうだ。

客観的に、

小説を読まれてない方には読みやすいかもしれない、
けれど、小説好きには読み足りないかもしれないと自己評価されていた。

読者からの意外な反応としては、会社で人事を担当している方が、
「人事の人に読んでほしい」と言うのだそうだ。

ダーバーシティー入門編として。
マイノリティー性をもった人物が出てくるので。

SNS

乙武さんは、遅ればせながらInstagramを始めたそうで、

「国が違う」

とわかりにくく・・・表現された。

その意味するところは、

たとえば、食事の記事をあげると、

ツイッターは、
「こんな時間に何食ってるんだよ」というようなコメントがあがる。

一方、

Instagramでは、
「美味しそうですね」とか「楽しい時間をお過ごしください」とコメントが入るんだとか。

言われてみたら、そうかも知れないSNS事情。

2ちゃんねるとの出会い

五体不満足が出たのが、20年前。

インターネットの普及も同じくらいから始まる。
2チャンネルの出会いも同じタイミング。

そのころは、本当にびっくりしたと。

親に友達、先生に恵まれ、体を揶揄されたことが多くなかったそれまでの人生。

しかし、2チャンネルでは罵詈雑言に溢れた世界。

障害者は、こんなにも馬鹿にされ、有名人であれば批判されるんだと知り、
その出来事で、慣れたそうだ。

一番最初の手痛い批判。

障害当事者や障害者の家族からの批判、それに考えさせられたと。

「乙武さんは恵まれているだけだ」とか、
「乙武さんと同様の(障害者に対し)頑張りを強要された」と言われる。

自分の身体で「“恵まれてる”なんて夢にも思わなかった」と。

それまでは、「五体不満足」をどこかで、多くの人に読まれれば、
結果的に障害者のためになると思っていたのに。

まさか同じ境遇だと思っていた障害者から矢が飛んでくると思っていなかったらしく、
その戸惑いが大きかったと。

今は、社会が少しづつ見えてきて、たしかに、恵まれてたよなと思えるそうだ。

500万部売れた五体不満足、
確かに当事者からの批判は、想像できないかも知れない。

無理矢理たとえるとすると、女性の活躍を女性が足を引っ張るのと同じことかも知れないけれど。

自分が知らない世界はたくさんある。

障害者という言い訳

健常者の試合に出ると、障害者ということで、どこかで言い訳していた。

しかし、パラバトに出ると、「障害」は言い訳できない。

※ パラバトとは…。

東京都の「障害はいいわけにすぎない」というポスターが炎上した。

パラアスリートの何人かは言っているのを読んで、
乙武さんも昔はそちら側だったと。

乙武さんが海外に行くと物乞いをしている人を見かける。

それを不愉快で、
「ふざけんな、(手足)1本や2本で物乞いなんかしてんじゃないよ」

と感じていたそうだ。

今は、反省をされて、

共通点は障害があるだけで、

社会を生きていく上で、「教育、家庭環境、他に要素がある」のだと。

そこには目を向けずに、「一括りにして、障害者だと思っていた」と。

批判は戸惑われたけど、障害者がおかれる境遇を知ることができたそうだ。

親友

乙武さんの親友で、ホストクラブのオーナーをしている方がいて、
大学に行ったけれど、3日でつまらないと辞め、19,20歳からホストをしておられる。

その方は人見知りだけれど、死ぬ気になって、
「合わないホストという職業を4年間やれば、どんな職業でもできる」とのモチベーションだそうだ。

歌舞伎町でカリスマホストと言われるようになって、
25歳で、ホストクラブ 5軒、バー 5軒、ビストロ 1軒、美容室 1軒を。

いろんはホストの話を聞くと、大変な境遇のホストもいて、
お父さんが4人いて、幼い頃、万引きをしないと生きていけないような人もいる。

レッテルを貼られるのはしんどいけど、
それを受け入れて行きて行く。

ホストクラブを舞台に生き方を模索する・・・というのは、
小説だと生き生きと描ける。

「車輪の上」に登場する龍馬は、親友をモデルにしたそうだ。

言葉

言葉が本当に辛辣か?

(言われている相手が)健常者だったら、言われて当たり前のこと、
しかし、対象が車椅子の人だと辛辣だと受け取られる。

それは、障害者の人には「きつい(ひどい)言葉をかけてはいけない」というバイヤスがどこかある。

わたしも、言われてみるまで、そのように思ったことはないけれど、確かにそうだと思う。

相手が傷つかないかどうか?
失礼ではないか?
を健常者にはそこまで意識しないのに、異常に気にしているのかも知れない。

不倫して叩かれた障害者、

だと。

乙武さん個人としては反省しないといけないが、との前置きのあと、社会としては良かったのではないか?と。

その観点は、これまで障害者は“社会的弱者”だったが、
悪いことがあっても健常者と同じく“フルスイングで叩かれる”のは、ある意味健全な社会だと。

変化を恐れる

同じく小説の登場人物の、アヤ。
変わることが怖い普通の女子大生。

かたや、障害者でもチャレンジグな主人公 進平。

アヤちゃんは主人公以上に重要な存在だと。

小説を書きたかったテーマ、

「レッテルを貼られるとしんどい。
でも、そのレッテルを引き受けて生きていくしかない。」

キャッチーなので、「車椅子のホスト」という主人公の設定。

それをどうやったら一般化できるか?の存在がアヤ。

地方出身で長男だと、
「長男だしなー」ということで無意識に制限がかかる。

女性であれば「私は女性だから」と、無意識に出しゃばらない。

読者が共感しやすいアヤは「いわゆるフツーのいい子ちゃん」

周りからもそう思われている。
そして、自分もそれに、縛られてる。

レッテル

世の中のホストは「どうせホストなんて」と言われて、
不快な思いをしている。

けれど、

その彼らは「AV女優はやらせてくれるんだ」と同じように、AV女優に対してレッテルを貼る。

それは、人間の性(さが)で、本能。

それを受け入れて、レッテルを貼ってしまった後に、「いかん、いかん」と気付けるかがポイントだと。
(とても、「人間」という弱い存在を受け入れた言葉だと思った)

変わりたいという人の問いに、

厳しいことを言うようだけれど、、と前置きをし、

「変われない人は無理に変わらなくていい」と。
そちらの方が居心地がいいのだったら。

「個性が大事な時代どうしたらいいか?」と尋ねてくる人がいるけれど、
その人たちは個性的になりたいと思っていない・・・

現実的に、全員違うひとで、“真の無個性”はありえない。

小さい頃からの育て方、学校の雰囲気、関わり方、
自分の色を出して嫌われたことがあったら、変な目で見られたことがあったら、

色を出さないように、出さないようにしてきて、
それが無個性だと思い込んでいるひとが多い。

自我が出たら、ハレーションもある。

5ヶ月の間、ヨーロッパにいると「自我を出しても大丈夫」という感覚がわかったそうだ。

欧州では、意見を言わないとばかにされ、「意見ないと見下される」カルチャー。

どちらが健全かと言うと欧州の方が健全でないか?

母親とのエピソード

乙武さんが二十歳の時に号泣したことがあったエピソードを紹介された。

お父さんから、
「『なんでこんな体に生んだんだ?』と成長してから言われる日がくるのではないか。
いつかはあるんだとあるんだとヒヤヒヤしていた」と言われたそうだ。

乙武さんは、そんなこと、一度も、微塵も思ったことがないのに、
父が、そんなことを勝手に考えていることの衝撃と、
それを思わせていたことが辛いという感情と。

それを母に告げて、号泣したと。

足元で泣く乙武さんを、お母さんは何も言わずに洗い物をしていたそうだ。

そのことを、70歳になった母親とまたふたりで話すことがあったそうだ。

母親から「今でもそう思うことがある」、「親は罪悪感がある」と。

乙武さんはバッサリと、本人は思っていないと言ってるのに「めんどうくさい」と。

この言葉は、眼からウロコで・・・
わたしが親でもそう思うだろうし、
わたしがその境遇だったら「なんでこんな体に・・・」と間違いなく一度は思っただろうから。

乙武さんの強さは常人の想像できる範囲をはるかに超えていることを知れた。

「騒動で得たことはありますか?」という質問に対して、

考える間があり、

「基本、(すべて)失った。」とぼそりと。

世間の反応は周知のとおり。
でも、周りの人間関係を構築していた人は変わらず、
身近な人に支えられていることを実感したそうだ。

また、あのようなことがなければ、時間も作れなかっただろうから、
世界をずっと回れたのは良かったと。

それまでは、家族の反対や仕事もあって、行けなかった。

障害者の水増し雇用問題

水増し雇用については、真意を測りかねていると。

乙武さんと接点がある官僚の人たちは本当に真面目で、
意図して違法状態を作り出すこと、そのイメージつかないそうだ。

報道は意図的な部分があることがあるが、もし、真実であれば、舐められたものだと。

障害者はそこまで舐められているか?を突きつけられた。

最後に。

会場へのメッセージ。

レッテルに縛られるとしんどい。
けれど、貼ってしまうのも性だよね。

そのために、気に留めて、立ち止まる癖を、と。

当日、会場にいた講談社の編集者 小沢さん。
五体不満足のきっかけは、NHKの番組を奥様がビデオに撮られて、その番組を見た偶然がきっかけだったそうだ。

その当日が小沢さんの定年退職の日。

小沢さんが前に出て、ご挨拶される。

長い会社人生いろいろあったんだろうと、
なんだか、じーんと伝わるものが。

人生って、いろんな、いろんな意味で、本当に奥深い。



改めて、当日のメモからしたためた記事。

本当に、考えさせられる。

自分の視野が狭すぎないか?
日常や身近な環境に引っ張られながら、情報を解釈し、判断していないか??

少なくとも、私は気をつけないとそうなっている部分はあると思う。

乙武さんの声、これまでもLGBTの当事者の方、マイノリティーの方からのお話を聞かないと気付いていなかったことがたくさんある。

自分がバイヤスやレッテルを貼ってしまうこと、
改めて、気をつけようと思えた朝。

騒動があったからこそ、いまの乙武さんがいて、発言の合間に「いろんな間」がありながら、
苦手な朝に言葉を紡いでくれるお話を聞けて、本当にありがたい機会となる。

みなさんも是非、「車輪の上」読んでみてください。

EmiLia

この記事を書いた人

EmiLia

一部上場企業に勤めるアラフォー女性管理職。

2度の駐在経験の後、商品企画を長く担当して、いまは、同じ社内でもカルチャーが全く違う管理部門で日々奮闘中。

「仕事」も「プライベート」も、どちらもあきらめない。

仕事でのアウトプットはしっかり出し、キャリアも積みながら、
プライベートにもフォーカスして、食や旅、学び、美・健康など、毎日ブログを更新。

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