奥入瀬サミット2018「人生100年時代の女性の生き方」②〜 小林照子/小巻亜矢

こんにちは。EmiLia( エミリア)です。

先週末の奥入瀬サミットの記事の続きを。

日本で一番女性経営者が多いという、

青森。

みなさん、ご存知でしたか?

から始まり・・・。

奥入瀬サミット

「人生100年時代の女性の生き方」

小巻亜矢さんに続き、

小林照子さんの講演のパートを。

「これはしない、あれはする」

人生100年時代を美しく、楽しく生きる、に。

小林照子さんのプロフィールを簡単に紹介。

育った家庭環境

現在、83歳の小林さん。

幼少のころ、5人の親がいたという。

戦前、戦中、戦後と激動の時代。

子供の頃、

気づいたこと。

「それぞれ(の親)が全然違うことを言う」

そして、

「それぞれ、(自分が)本当の親だと言う」

だから、

「自分というものを持たないといけない」

と子供の頃に、すでに軸ができたとおっしゃっていた。

疎開

東京からも子供達が疎開されていた山形は、

ひとクラス100人の規模。

昭和20年3月10日 東京大空襲、

自宅も、

何かも

焼けてしまった。

そして、

東京に住む小学生 同級生は、全員いなくなったそうだ。

演劇への道

山形での学生時代。

「学芸会」などの演劇。

先生も含めて、劇で話す「標準語」がわからない。

なので、

標準語を教える役割を担われた。

でも、自分が演じるより、

裏方、プロデュースが面白いことに、

気づいたという。

プロンプターや舞台装置の準備など。

そして、メイクの道につながる。

母の闘病

そんな折、

お母様がカリエスになる。

村で2人しかいない難病。

養母は貧乏で、病院に治療にいけず、

自宅療法をするしか治療方法がなかった。

もう1人の患者は、(裕福な)お寺の奥さんで、

病院に入院されての治療だったと。

人生最大の不幸

「人生で一番の不幸」は、

お母さんが亡くなった時。

18歳で、遺体をリアカーに乗せ、

まともなところで焼けないので、

火葬場でなく、野原で自分で焼いたこと。

辛かった思いを語られる。

上京のきっかけ

それは、

「お金が天から降って来た」のだと。

そのように表現されていたが、

お寺の住職の小学生の子が、

小林さんの八幡神社で拾った時計を盗んだ、

そのお詫びに、

札束を積んで、

ご自宅に。

想像するに、

住職の子(=将来の住職)が盗んだと村で広まるといけないので、

「東京に戻さないと・・・」と思ったのではないか?と。

上京のチャンス

天命のための必然!?

人生何が起こるかわからない。

そして、上京し、美容学校に入学。

入社試験

卒業して、コーセーの入社試験。

その日、長蛇の列が、

会社の入り口から、受付の5階まで履歴書を持参する列。

ただ、

その時、

直感的に、

「受かりそうな気」がしたそうだ。

新入社員時代、2年間。

山口県担当の美容部員、

月1回 2日かけて東京へ帰り、

また、2日かけて帰る生活。

結婚

しばらくし、

結婚して、子供を持つ。

当時は、

10ヶ月のお腹で、「いつから休むの?」

と尋ねられ、

産んだら、

「いつから出て来るの?」

の聞かれるような前例のない時代。

「子供をどうやったら、守れるか?」

それを考え、

仕事が忙しく時間がない中で、

ただただ、抱きしめてあげたり、

聞いてあげる時間を作ったそうだ。

人生2番目の不幸

人生2番目の不幸、

メイクの教育の最後の仕事として、

香港事業の立ち上げのため、

長期出張へ向かう羽田での道中に、交通事故に遭う。

同乗されていた妹さんと旦那さんが重症に・・・。

加えて、養父も入院しており、

病院を「3箇所」まわる生活だったそうだ。

しかし、

それは、「華やかな不幸。」

とあっけらかんと語られる。

周囲のみんなが同情、みんなが心配して、お見舞いしてくれる。

事故の加害者は、

18歳の免許取りたての八百屋の仲買。

配達の途中、雪道でスリップした、

若い彼も、

そのあとフォローをしていたそうだ。

その反面の、

「一番の不幸」のお母様の経験は、

誰も同情すらしてくれない、

隠された過去なのだという。

キャリア

その後は、教育の担当の後、

マーケティングで商品を作る。

人生のピンチの後、

V字回復。

美容液を初めて、コーセーが作った。

1、元祖。

2、パウダーファンデーション

それらは、

「働く女性」の味方になるように、

時間短縮、

のための作った化粧品。

1980年 最初の著書。

全ての経験から、

それは天命。

「人を育てる」、

化粧品メーカーだからできたこと。

映画のメイキャップは汚す、特殊メイクと言われた時代。

よく周囲から「フリーになれ。」と言われたが、

コーセーへの感謝から残り、

メイキャッパーが育って、

育った人を見て、喜ぶ、

そんな繰り返しだったそうだ。

「巨万の富を作る」

と宣言して作った「美ファイン研究所」設立。

そして、

教育に携わる際、コーセーが小林さんを辞めさせないために、学校を作った。

原宿の学校、

加えて、

京都の伝統文化を世界広めるための京都校。

徹子の部屋

徹子の部屋 1984年、

2010年2回目、

2018年 3回目。

黒柳徹子さんの玉ねぎヘアー。

玉ねぎヘアは、

NY在住の須賀勇介さんの作った黒柳徹子に似合う究極のヘアスタイル。

時代を経て、少しのアジャストはするけれど、変わらない。

ボランティア

エンゼルメイク、

死化粧は、ボランティアの取り組み。

全て、経験から。

「経験」から使命が見えてくる。

エンゼルメイクから、

「N+BC」

ナース+ビューティーケア

今後、

健康寿命が伸びる。

仕事の比率、

ボランティア・ビジネス・教育(使命)

教育には、つぎ込むのだと。

商品開発

パナソニックなど、

他社とコラボも。

テレビショッピング

奇跡は、

起こり、

このような巨額な金額の売り上げも。

そういうタイミングは人生にあるのだと、

客観的に。

メイクの力

自分がどう見えるか、

自分では、

わからない。

知らない自分の発見の手助けをして、

さまざまな人の人生を変えてきたのだという。

ホルモンバランス

最後に…

女性は、

「更年期以降が一番大事」と。

40代が変わり目

「美醜の分かれ目」

人生、、、

辛いことも、

洗い出すと、

「未来」が見えて来る

最新刊

素敵なおふたり

あっという間に、

時間が経過し、

10分以上も延長した講演。

ひとりひとり、

いいことも、よくないことも、

さまざまな人生の物語があって、

「今がある」

そんなことを考えさせられた時間でした。

みなさんも、100年時代の自身の女性としての人生を見直してみてはいかがでしょうか?

EmiLia

この記事を書いた人

EmiLia

一部上場企業に勤めるアラフォー女性管理職。

2度の駐在経験の後、商品企画を長く担当して、いまは、同じ社内でもカルチャーが全く違う管理部門で日々奮闘中。

「仕事」も「プライベート」も、どちらもあきらめない。

仕事でのアウトプットはしっかり出し、キャリアも積みながら、
プライベートにもフォーカスして、食や旅、学び、美・健康など、毎日ブログを更新。

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