「母」なる存在? 〜 ただ、そこにいるだけで。

こんにちは。EmiLia( エミリア)です。

体力を消耗した送別会(飲み会)の数々からの気づきを記事に。

飲み会

前提としての飲み会について、まずは。

普段、少人数で、しっぽり語るのが好きなので、大人数の飲み会は苦手ではある。

だから、通常はオフィシャルの部門の歓送迎会とか忘年会とか意外は、大人数での飲み会は 疲れてしまうので、参加しない。

でも、自分の異動となると断りつつ、
お世話になったひとからや一緒にプロジェクトを取り組んだメンバーから「ぜひ、送別会」と言われると、断りきれないものも。

気づき

ふだん飲み会を行かない中で、数をこなして、気付くものもある。

わたしは、面白いことを言うこともないし、自ら盛り上げるわけでもない。
そして、話題の中心になることも、あまりない。

なので、送別会とかこつけて、話題は日常のことだったりが大半だったりすると、「送別会でなくても」と思ったりもした。

けれど、ふとした気づきがあった。

「どの飲み会も、みんななんか楽しそうだったぞ?」

私がいても、いなくても別に楽しい食事だったのだろうけれど、
いるだけで、意味があるってあるんだろうなと。

「母」的ポジションが合っているのかも。

エミリアロス

職場を去る数日前から、いろんな人から会うたびに、「さみしくなるな」という言葉。

会社で天敵のように言われる人からも、職場で机の整理をしていると、なんだかんだチャチャを入れてくる。

「普段はうっとおしいんだけど、いなくなると寂しくなるもんなんだな」とぽそり。

いるときは、仕事の本質をついてしまうので「めんどくさいことを言うやつ」という空気を受け取ることもしばしばだけど、不思議なものだ。

新しい職場に着任した日、「エミリアがいないからみんなロスで・・・」と。

部のキャラが薄まったと言われたり。

存在する意味

ひと色々役割があって生きているとすると、
「そこに存在するだけでいい」という部分は、
少しわたしに当てはまるパーツの一部なのかな?と。

異動を機会に感じたこと。

みなさんも人間関係でいろいろ思い、悩むこともあると思いますが、それぞれの役割でしっかりと意味があると思いますので、少し人間関係について捉え直してみてはいかがでしょうか?

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EmiLia

この記事を書いた人

EmiLia

一部上場企業に勤めるアラフォー女性管理職。

2度の駐在経験の後、商品企画を長く担当して、いまは、同じ社内でもカルチャーが全く違う管理部門で日々奮闘中。

「仕事」も「プライベート」も、どちらもあきらめない。

仕事でのアウトプットはしっかり出し、キャリアも積みながら、
プライベートにもフォーカスして、食や旅、学び、美・健康など、毎日ブログを更新。

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